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金原亭一門の系統図

ワイン寄席

落語家には系統があり、師弟関係を代々遡っていくと江戸時代につながります。
師匠につかないとプロになれない世界ですから、プロの落語家なら全員系統を遡れるのです。
オンラインワイン寄席でおなじみ金原亭馬生一門の系統を、2代だけ遡り、5代目古今亭志ん生から見ていきましょう。

目次
1.古今亭と金原亭
2.一門の開祖・古今亭志ん生
3.10代目金原亭馬生一門
4.金原亭の亭号について
5.11代目金原亭馬生一門

古今亭と金原亭

金原亭という一門を考える際には、古今亭も併せて捉える必要があります。
金原亭という亭号の落語家は、すべて古今亭の一員でもあるのです。この大きな古今亭のくくりは、今でもなお生きています。
2019年に真打に昇進した、古今亭ぎん志という師匠がいます。
この人は二ツ目時代は「初音家左吉」でした。その師匠初音家左橋は、先代金原亭馬生の弟子ですから、金原亭です。
金原亭の落語家が真打昇進時に古今亭を名乗ることについて、古今亭の落語家から異論は上がりませんでした。
この例からも、古今亭と金原亭がいまだ一体だということがわかるのです。

一門の開祖・古今亭志ん生

戦後の落語界でもっとも人気のあった5代目古今亭志ん生が、現在につながる古今亭および金原亭の祖です。
改名の多かった志ん生は、志ん生襲名前に、金原亭馬太郎や、金原亭馬きん、古今亭志ん馬などを名乗ったこともあります。
志ん生の2番目の師匠が、4代目志ん生であり、この名を引き継ぎました。4代目の系統は、5代目志ん生以外には現存していません。
1939年の5代目古今亭志ん生を襲名から、現在に直接つながる古今亭が始まったといえます。
志ん生は、最初に入門した先は2代目三遊亭小圓朝であり、4代目志ん生没後は柳家三語楼門下に移っています。ですから、三遊亭、柳家の系統でもあります。
このように以前は、まったく関係のない師匠の元に移籍するということが、わりとありました。
さて志ん生の長男が、10代目金原亭馬生であり、次男が古今亭志ん朝です。もともと一家で名前を持っていた(しかも家が隣同士だった)ために、現在の古今亭と金原亭の、他に類のない強い結びつきが維持されているのでしょう。
志ん生の弟子は他にも多数いますが、大きなものは古今亭圓菊一門です。圓菊も弟子が多いため、古今亭を大きくすることに貢献しています。

古今亭志ん生(4代目)
―――古今亭志ん生(5代目)
―――金原亭馬生(10代目)
―――古今亭志ん朝
―――古今亭圓菊
              (他弟子多数)

10代目金原亭馬生一門

古今亭志ん生の長男が、10代目(先代)金原亭馬生。
父が7代目馬生なのに、息子は10代目です。間に、別系統の馬生が2人いるのですが、10代目は、9代目からも稽古をつけてもらっていたので無関係ではありません。
弟(志ん生の次男)の古今亭志ん朝は昭和落語界屈指の大スターです。それに比べると、破天荒な父にも似ず、端正で地味な芸風の馬生は、ぐっと小さな存在にも、一瞬思えるのです。
ですが本物は時代を超えるもの。10代目の名声も、時代が経つにつれ、ますます高くなっていきます。
現代になってみると、馬生一門は、噺家の数において志ん朝一門よりもむしろ大きくなっている点、面白いものです。先代馬生の芸も、着実に次世代に引き継がれていきます。
志ん生、志ん朝の芸が、後進に強く引き継がれていないことと比べると、興味深いものです。
笑いを重視する落語も盛んですが、それだけではつまらないのです。丹念に語り込む芸が飽きられることはありません。
先代馬生の一門を見てみましょう。途中廃業の人を除く、弟子全員です。

金原亭馬生(10代目)
―――金原亭伯楽(1961)
―――(故人)鈴の家馬勇(1962)
―――5代目金原亭馬好(1963)※初代金原亭馬の助死去により移籍
―――7代目むかし家今松(1965)
―――(故人)2代目金原亭馬の助(1965)※初代金原亭馬の助死去により移籍
―――金原亭駒三(1967)
―――6代目五街道雲助(1968)
―――4代目吉原朝馬(1968)
―――11代目金原亭馬生(1969)
―――金原亭世之介(1969)
―――初音家左橋(1979)
―――金原亭生駒(1979)※2019年まで「天乃家白馬」
※カッコ内は入門年

これ以外に、忘れてはならない人として、「古今亭志ん駒」(故人)がいます。
志ん駒は1963年に志ん生の弟子となり、師匠逝去により1973年に馬生門下に加わっています。
その後落語協会分裂騒動というものがあり、古今亭志ん朝に付いて落語協会をいったん脱退することになります。
このゴタゴタがあって、志ん駒は志ん朝門下に代わります。生前は騒動について多くを語らなかった志ん駒ですが、この一連の行動には、弟・志ん朝を案じた馬生の深慮遠謀が働いていたともいわれます。
少なくとも、師匠も弟子も揃ってそう思ってもらえる、人望の高い人であったわけです。

金原亭の亭号について

さて、先代馬生一門を見てみると、亭号が「金原亭」でない人が目立ちます。
先代林家三平につながる根岸の「林家」など、亭号に例外のない一門もあるいっぽうで、金原亭は実にバラエティに富んでいます。
馬生自体、入門時はむかし家今松でした。さらにいうなら、父・志ん生が改名を繰り返し、亭号も様々なものを名乗っていた事実が背景にあるのでしょう。
志ん朝系統、圓菊系統の古今亭については、移籍組の桂才賀一門を除いて古今亭で統一されていますが、圓菊が二ツ目まで「むかし家今松」であったように、古今亭自体にさまざまな亭号を名乗る素地があるようです。
さて、金原亭馬生と名前ですが、これは現在の松戸付近にある小金原(馬の産地)をシャレとして織り込んだものです。
五街道雲助、吉原朝馬というのも、やはりシャレの名前です。
面白いのはその五街道雲助一門で、3人の弟子はすべて名前が違います。

6代目五街道雲助
―――3代目桃月庵白酒
―――4代目隅田川馬石
―――3代目蜃気楼龍玉

いずれも、古い落語事典から採った名前とのことです。隅田川馬石は、志ん生が一時名乗った名前のひとつでもあります。
雲助師匠の孫弟子も生まれており、今後ますます、バラエティに富んだ亭号が生まれそうです。

11代目金原亭馬生一門

さらに時代を下り、金原亭馬生の名を引き継いだ、当代11代目の一門についてです。
先代馬生の弟子たちも弟子を採っていますが、弟子の数がもっとも多いのが、当代馬生一門です。
弟子は相撲のように師匠がスカウトするわけではなく、勝手に入門志願に来ます。とはいえ弟子の多さを見ると、大きな名前を継いだ当代の責務を感じます。
そして師匠の芸風を、自身だけでなく弟子にも着実に伝えています。
厳密にいうと当代馬生師匠は、先代の逝去時に二ツ目だったので、いったん先代の惣領弟子(つまり兄弟子)の金原亭伯楽門下に直っています。
そのため現在でもなお、伯楽師匠の弟子ということになります。
弟弟子の、世之介、左橋、生駒の各師も同様です。

金原亭馬生(11代目)
―――2代目金原亭馬治(2000)
―――2代目金原亭馬玉(2000)
―――5代目桂三木助(2003)
――――――金原亭馬久(2010)
――――――金原亭小駒(2013)
――――――金原亭馬太郎(2014)
―――――――――金原亭駒介(2018)
※カッコ内は入門年

2020年現在の階級に応じて、名前の位置を変えています。
真打3人、二ツ目3人、前座1人という、なかなかの大所帯です。
今後孫弟子もできると、金原亭はますます発展していくことでしょう。
一番弟子と二番弟子の馬治、馬玉は同時入門であり、同時に二ツ目に昇進、そして2015年に同時に真打になりました。
二人とも、金原亭の系譜らしい本格派です。
東京の寄席でもっとも格上である、鈴本演芸場の主任も取っており、前途洋々といったところです。
そして上手いだけにとどまらず、おかしさがどんどん加わっていくでしょう。
当代馬生一門は、雲助師匠のところのように、亭号のバラエティはありません。
ただし3番弟子が、「桂」です。
この当代桂三木助は、「芝浜」など文芸落語に定評のあった3代目三木助の孫であり、テレビバラエティで人気のあった4代目三木助の甥だからです。
そのため、二ツ目時代からすでに金原亭ではなく、桂三木男でした。最初から名跡を継ぐ前提で入門しているのです。
当代の弟子には違いないものの、古今亭由来でない名を名乗っているように、やや活動の場所が異なります。
二ツ目の3人、馬久、小駒、馬太郎もみな、師匠兄弟子と同じ本格派、通好みの芸風です。
ちなみに小駒さんは、先代馬生の実の孫です。志ん生から数えて三代目の落語家です。
三木助の孫と馬生の孫を育て上げている、当代馬生師のふところの深さがうかがえます。

弁天小僧

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日頃はクレジットカード、キャッシング、カーシェア等を専門に執筆しているライターです。 落語が趣味で、週1回寄席や落語会に出向いています。

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