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落語・寄席を自宅で楽しむための入門編

ワイン寄席

2020年4月22日にヴィノテラス主催で行われた「オンラインワイン寄席」をたくさんの方々にご参加いただきました。まずは落語とは何か?歴史などこれを読めば落語をまる分かりできるように解説していきます。

目次
1.落語とは
2.落語の歴史
3.落語家の階級について
4.伝説の落語家の以下2名の生い立ちから現在までをまるっと解説
 天衣無縫の落語家「古今亭志ん生」
 現代落語を作り上げた「古今亭志ん朝」
5.よく出てくる落語の用語(50選)
6.落語を自宅で楽しむ方法

落語とは

落語について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
お笑いだと認識している人もいるでしょう。いっぽうで、格調高い古典芸能だと感じ、敷居の高さを感じる人もいるのではないでしょうか。
いろいろな聴き方があっていいのですが、落語とはつまりなんなのでしょうか。難しく考え過ぎないよう、できるだけその本質に迫ってみましょう。

お笑い演芸としての落語


M-1グランプリが国民的行事になっているのを見てもわかる通り、老若男女問わず、お笑いは大きな人気を集めています。
落語もまた、お笑いの一種です。実際、寄席に「笑いに行きたい」というニーズは大きなもの。
ただ、漫才やコントなどTVの演芸番組で見る芸とは、笑いの質が相当に違う点は、誰でも感じるでしょう。いまどきのお笑いとまったく違う点に、古臭さを感じる人もいるわけです。
とはいえ落語は本来、年齢など一切問わない話芸です。
笑いの質の大きな違いは、落語の笑いは疲れないということ。
お笑いは楽しいものですが、次から次に渾身の舞台を観ると、結構疲れてしまうこともあります。
落語の場合、寄席のプログラムが巧みに組まれているためもありますが、長い時間聴いてもあまり疲れません。
落語には一定の型(スタイル)があるので、誰でもくつろいで参加することができるのです。
型がある点に敷居の高さを感じるのは、間違ってはいません。ですが型は、どんどん聴き手に馴染んできます。
寄席の中には、昼過ぎから夜9時近くまで、居続けできるところがあります。そんなことが可能なのは、落語自体の笑いの質によるところが大きいはずです。
型に沿っているといっても、意外性がなく、笑いの量が小さいということではありません。
人気の落語家さんでは、息ができなくなるほど笑わせてもらえることでしょう。笑いの量として、いわゆるお笑いを瞬間的に上回ることもごく普通です。
それでも慣れてくれば、疲れずに参加でき、常にくつろいだ状態で聴けるはずです。
そして、笑いを求めに寄席に通っていた人にとっても、通ううち、今度は別の要素が大きくなってくるはずです。
落語に漂う人情が癖になってくると、お笑いファンとは一線を画した存在になるでしょう。

落語にもボケ・ツッコミはある

お笑いとしての落語に触れましたので、併せてそのスタイルについて見ておきましょう。
落語の変わったスタイルが、複数の登場人物をひとりで演じ分けるということ。これは珍しいものでしょう。
ただ、ここで躓く人はそれほど多くはないはず。
落語の世界では演じ分けを徹底して工夫しています。演者の仕草と口調、それに噺の進行も、スムーズな演じ分けに貢献しています。
そしてこの登場人物、ボケとツッコミとを担当していることも多いです。
昔の笑いだと思う人も、意外とスムーズに聴けることでしょう。会話のやりとりに関していえば、漫才と一緒です。
もっともツッコミといっても、本気で怒るようなスタイルはほぼありません。最近お笑い界でブームとなっている「人を傷つけない笑い」を古くから実行しているのが落語なのです。

伝統芸能としての落語


落語は伝統芸能です。
お笑いの要素より、伝統芸能であることに興味を持つ人も無数にいます。これが逆に、敷居の高さ、鑑賞の難しさを勝手に感じることにもつながります。
伝統芸能は歌舞伎、文楽、能、狂言、講談などあまたありますが、実際の芸の敷居の高さの程度でいうと、落語は圧倒的に低いと感じることでしょう。
なにしろ落語で使う言葉はほぼ現代語で、誰でも理解できるものです。昔の話なので言葉が違うのではないかと思うとしたら、大きな誤解です。
少々わからない単語が仮にあったとして、気にするほどのことはありません。全体がすべてわからないと理解できないような芸ではなく、また演者もちゃんと全員にわかるように演じます。
予備知識もほとんど不要です。落語家が、複数の登場人物を演じ分ける芸だということだけ知っていれば十分です。
わからないとすると、言葉よりも昔の風俗のほうかもしれません。
といって、わからないから予習していくような芸でもないのです。噺の世界に浸ろうとする努力だけで十分です。演者の側も、わからない客を置き去りにすることはありません。
伝統芸だということはそれほど気にし過ぎることはないのですが、一方でその伝統性に惹かれる人もいるでしょう。
寄席の前面にひるがえる幟や、華やかな真打昇進の披露目、そして新宿末広亭の古色蒼然とした外観など、伝統的要素に基づく楽しみは無数にあります。
演者への「待ってました」の声掛けなども、伝統の世界へいざなってくれるものです。
歌舞伎ほど多くはないですが、着物を着て落語に行くのもオツな楽しみです。

観劇・ライブとしての落語


落語で伝統芸能に目覚め、その後歌舞伎や文楽に進む人も珍しくはありません。
ですが芸能の性質をよく観察した場合、落語が本質的にずっと近いのは、芝居(現代劇)やミュージカルのほうではないでしょうか。
なにしろ落語は「演じる」劇であり、リアルな芝居が求められます。
落語は登場人物のセリフを想像でつなげ合わせる、演劇の一形態といえるでしょう。
こうした親和性から、実際演劇関係者にも、落語の好きな人が多いようです。
また、音楽のコンサートやライブが好きな人にとっても、落語は意外なぐらい親和性の高い芸です。
実際、古くからジャズ関係者には、落語の好きな人が多くいました。
落語とジャズとは観察するとよく似ています。
基本となるスタンダード(古典落語)が確立されている中で、オリジナル(新作落語)もあり、そしてアドリブも重要です。
ジャズも音楽も、耳の肥えた客なら「お、そう来るか」と思いながら聴くわけです。

子供と一緒に聴く落語


見てきたように、落語は決して難しいものではありません。
そして、さまざまな趣味から気楽に入ってこれるものでもあります。
笑いでもあり「お話」でもある落語は、子供が聴いても十分楽しめるものです。この側面も見ておきましょう。
さすがに未就学児では難しいかもしれませんが、大人と一緒に寄席に出向いて落語を楽しめる小学生はたくさんいます。
普通の小学生でも落語が楽しめる証拠として、学校寄席というものがあります。これは学校に落語家が出向いて、落語を披露するものです。
学校寄席の定番は、子供が大人をへこます落語です。転失気や初天神などといった演目は、いつでも子供に大人気です。
もちろん学校側としては、落語に教育要素を感じて呼ぶわけでしょうが、子供は難しいことを考えず楽しんでくれます。
そして子供は興味を持つと、落語の長いフレーズなどすぐ覚えてしまいます。寿限無の長い名前などです。
子供は大人のように構えない分、落語との付き合いもむしろ上手いのです。
子供と落語をさらに楽しもうと思ったら、NHK・Eテレで放映されている「えほん寄席」がおすすめです。
絵本のように絵はついていますが、リアルな絵ではないので、想像力を損なう心配がありません。
そして、プロの噺家が5分にまとめた噺をきちんと語っているので、子供向けであっても本物の落語です。

落語の種類は豊富


落語が、小学生から年配の人まで誰でも楽しめるものであることを見てきました。
とはいうものの、聴く習慣がない人にとっては関心の外にあるものでしょう。
これには、落語に対する思い込みと決めつけもあるはずです。
落語というものは、お爺さんが出てきて座布団の上でボソボソと、面白いのか面白くないのかわからない話をするものと思っている人も多いのではないでしょうか。
あるいは、舞台に座布団を何枚も並べ、みんなで面白いことを言い合うのが落語だと思っている人、落語家のマクラによく出てきますが、こういう人も実際にいるようです。
しかし落語というもの、非常に幅の広いものです。
笑いの質からしても、さりげなくクスっと笑うものから、お笑いと同様の大爆笑まであらゆる種類があります。
「大爆笑のほうが価値が高い」というわけでもありません。そもそも笑いの量では測りづらい芸です。
笑いを主にした滑稽噺だけではなく、人間のあらゆる感情を描いた人情噺も揃っています。

落語好きになれない理由


落語というものは、ほとんど聴いたことがないのに「聴いてみたい」「好きになってみたい」と思う人が、妙に多い趣味かもしれません。
知的な趣味だと思うのでしょう。
確かにそうした側面はあります。
前述の学校寄席は高校でも開催されていますが、偏差値の高い高校のほうが圧倒的に笑いが多いというのは、落語家のマクラで頻繁に耳にします。
知的な趣味が欲しいがために落語を聴くというのは、順序が逆かもしれませんが、興味を持つのは悪いことではないでしょう。
ですが、興味を持って聴きにいったとしても、趣味にならないこともあります。
無理に聴く芸能ではないので、それはそれでいいと思います。
ですが、ちょっとした認識の誤りで、好きになり損ねることもあるはずです。落語を好きになれない障害物を見てみましょう。

新作落語に馴染めない

落語は昔の話を磨き上げてきた高級なものだと思って聴いてみたら、現代を舞台にするふざけた落語を聴かされたと、そんな感想を持つこともあるでしょう。
実のところ、新作落語は大きな人気を集めています。
古典落語と新作落語とをまったく別ものとして理解しようとするのが無理なのです。寄席においては、内容が被らず、バラエティに富んでいることはとても重宝されるので、新作落語は歓迎されるのです。
新作・古典二刀流の落語家なら、その日のお客の様子を見てなにがふさわしいか吟味してから噺を選ぶもの。
そうした努力を知らずに「新作だから嫌だ」と言っていては、興味が先に進んでいきません。
同様に、「東京の落語はいいけど上方はどうも・・・」などと言って落語を無理に分けるのも、同じく決していいことではありません。
新作落語と同様、漫談を嫌がる人もいます。
落語をしないで、世間であったことをネタにする漫談だけを話し高座を下りる人もいるのです。落語の前に喋るマクラの部分だと思ったら、漫談だったということがあります。
漫談も立派な芸のありかたです。落語家たちは、バラエティに富んだ演目を出すことで、客が退屈することを避けるよう常に努力をしているのです。
演者自身に対する好き嫌いはあって普通です。無理に好きならなくても、好きな人を探して聴きにいけばいいのです。
ですがそれ以前、落語のスタイルを勝手に分ける聴き方は、あまり幸せなものとはいえません。

同じ噺ばかりで飽きた

これは、避けて通れない障害物です。
「落語の噺というものは誰が掛けても同じもの」だと思い込んでいる初心者でなくても、「またこの人のこの噺に当たってしまった」ということはあるものです。
この問題を解消するには、さらに聴き進めていくしかないでしょう。恐らく、すぐに気にならなくなるはずです。
落語家によって同じ演目でも、演出が違います。また同じ演者の同じ噺だとしても、いつも完全に同じではありません。
よく知っている噺であれば、それだけ演者の狙いも深くわかるはずです。今日はどう語るのかと楽しみにしたいものです。
なお、CDには収録されるものの、実際にはまず掛からない珍しい噺も多数あります。
よく掛かる噺にも掛からない噺にもそれぞれ理由があります。珍しい噺ばかり期待してもダメでしょう。

昔の落語のほうがいい

CDなどで好きな演者の好きな噺を繰り返し聴くのも立派な趣味です。ただ、現実に落語を聴きにいくようになると、ずいぶん違うのだなと思うこともあるかもしれません。
中には、現代の落語に馴染めず、20年から60年前の名人の落語ばかり好んで聴く人もいます。
なにを聴くのも自由ですし、CDなら、好きなものだけ聴くのもいいでしょう。
ですが、後世に残るであろう現代の落語を聴かず、古いもの、実際に残ったものだけ聴いているのはもったいない話です。
芸能の世界はどこでも、先人の知恵を吸収し、さらに次を目指しているのです。当然、この世代の名人も出てきます。
昔の落語がいいなと思ったのであれば、それを取り込み、さらに進化を続ける現代落語も捨てたくはないものです。

落語を聴いても場面が浮かばない

落語は、演者だけで完結するのではありません。
受け取る側のお客の想像力にも大きな比重の掛かる芸です。
世間に評判のいい落語家の噺を聴いて、まったく情景が思い浮かばず、人情の機微も響いてこない、そんな聴き手も残念ながらいます。
この場合、どうしたらいいでしょうか。
これはもう、落語を楽しむには致命的なので、趣味にするのはあきらめたほうがいいと思います。
どんな趣味であっても、万人が楽しめるということはありません。別の趣味を見つけましょう。

落語の敷居は高くない


落語を楽しみたい人についてのヒントを述べてきました。
興味を持ったら、一度寄席に出向いてみるのもおすすめです。
寄席は、落語界におけるショーウィンドウの役割を果たしています。ここから、お気に入りの演者を見つけるといいでしょう。
寄席は基本的には当日売りですから、正月やお盆以外はいきなり行って構いません。
たまたま行った日の演者が気に入るかどうかはなんともいえません。ですが、1日行けばだいたいどんなものかは感覚的にわかります。
気に入らないことが仮にあっても、落語自体に対して疑問を持ったのでなければ、いい経験となるでしょう。

落語の歴史

落語は伝統芸能である前に大衆芸能です。気軽に楽しめばいいのですが、歴史を知っておくと楽しみがまた膨らみます。
江戸時代から連綿と続く、落語の長い歴史を簡潔に振り返ってみます。どうぞお付き合いください。
歴史というものは、一般的に過去から始めるのが普通ですが、落語の場合はどうでしょう。落語は現在でもなお進化し続けているのであり、黎明期よりも、ここ50年程度のほうが重要でしょう。
そのためひとつ趣向を変え、現在から過去へ、徐々に歴史を遡ってみることにします。

現在(2020年)の落語


現在、東西併せて落語家の数は実に850人にのぼります。空前の落語ブームが、静かなブームだと揶揄されながらずっと続いているためです。
落語というもの、景気のいいときには流行ったことがないようで、落語ブームが続いているのも、景気がいつまでも拡大しないことと関係がありそうです。
景気が沈みがちのときこそ、人をじわじわと明るくしてくれる芸能なのでしょう。
お笑い界では「人を傷つけない笑い」が盛んですが、落語は以前からそういう芸です。安定した人気を保っているのは、このあたりに秘訣があるかもしれません。
さて現在の落語界の特徴は、こういったところにあります。

・寄席が盛況
・二ツ目ブーム/ユニットブーム
・女流の躍進
・新作落語の完全な定着

定年がない世界のため、70代、80代のベテラン落語家も頑張る一方、女流も含めた若い人たちが元気です。
落語はある程度年季の必要な芸とされますが、若手のフレッシュな芸にも独自の魅力があり、それが再認識されてきています。
若手ユニットも盛んで、落語芸術協会の「成金」が解散を前にして新たに、「芸協カデンツァ」が結成されました。
そして現代、新作落語も、お客への違和感なく掛けられています。
新作落語は戦後の落語界を席巻し続けてきたのですが、聴き手にとって完全に定着し、特別なものでなくなったのは、つい最近のことではないでしょうか。
落語を題材にしたフィクションの世界も盛んで、「昭和元禄落語心中」のように2014年にアニメ、2018年にテレビドラマ化された人気作も出てきています。

2000年頃の落語


少し時代を遡ります。
20世紀が終わる前の落語界がどうだったかというと、寄席もこの頃は空席が目立っていました。
世間から忘れ去られるような芸能ではないものの、それでも寂しい時代もあったのです。
この時代に入門した落語家たちは、現在中堅真打として落語界を支えています。
その人たちは入門の頃、つまり自分自身が大学生で客側だった頃、席がとても空いていたことをしばしばマクラで話しています。

人気の落語家は、落語会の席を埋めていました。
非常にファンに愛され、一般からの認知も極めて高かった落語家、古今亭志ん朝が亡くなったのは2001年でした。落語ブームの到来を実感する前に亡くなったわけです。

現在まで続く落語ブームは、2005年のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」に始まると言われます。
古典落語に描かれた世界と、同時に落語界の師弟関係を合わせ取り入れたこのドラマは、その後も続く落語ものの先駆けとなりました。
ドラマによって、世間が落語を再認識したということはあるでしょう。

2006年には、大阪の天満天神繁昌亭がオープンしました。上方落語会悲願の「寄席」が半世紀ぶりに復活したのです。
上方落語協会会長であった桂三枝(現・文枝)の政治力がものを言いました。三枝は新作落語(創作落語と自称)で上方落語界に新風を吹き込んだ落語家です。
これを機に、漫才の陰に隠れていた上方落語も水を得た魚のように賑やかになります。

この時代に活躍を開始した落語家は、現在もなお活発に活動しています。
ごく一例として、立川志の輔、春風亭昇太、柳家喬太郎などが挙げられます。

1980年頃の落語


バブルの頃は世間の人の意識も違い、落語は忘れられた存在だったかもしれません。
その前のこの時代も、比較的落語界は静かでした。
とはいえ、先代柳家小さんをはじめ、古今亭志ん朝や立川談志等、多くの実力者が活躍した時代でもあります。

落語には冬の時代ですが、春風亭柳昇などの尽力により、1979年には国立演芸場がオープンしました。寄席四場にもうひとつ小屋が加わったわけです。

落語協会と落語芸術協会の二団体がライバル関係にあった東京の落語界ですが、真打昇進の基準等を巡って落語協会が分裂し、1978年に三遊亭圓生が落語三遊協会(現在の五代目圓楽一門会)を、1983年に立川談志が立川流を創設しました。
真打昇進は、団体を分裂させるほど重大な事項なのです。
現在でもこの際の4団体体制が引き継がれていますが、主役となる落語家が代替わりしたことにより、新たな団体収斂の道を探る過程にあります。

落語の歴史を後の世から振り返ったときに、この時期にひとつの転機があります。
新作落語の天才、三遊亭円丈の活躍です。
テレビにもよく出演していた円丈とはいえ、この頃はまだ好事家が着目する存在だったかもしれません。
しかしその後40年で、春風亭昇太、柳家喬太郎といった円丈チルドレンたちが、すっかり新作落語を世に定着させています。
新たに多くのプレイヤーが登場し、古典・新作両刀の落語家も非常に増えました。
いっぽう戦後の落語界を牽引した、円丈以前の新作落語は、いまや忘れられた存在となりつつあります。

1960年頃の落語


戦後復興、高度経済成長の時代には、落語はラジオで人気を博しました。
出っ歯で禿頭の三代目三遊亭金馬(1964年没)など、大衆的な人気を集めました。
テレビ黎明期の人気番組「お笑い三人組」のメンバーの一人が、まだ現役の四代目三遊亭金馬です。
落語協会では、戦前の戦意高揚新作落語の反動もあったのでしょう、古典落語が人気を取り戻していました。
「古典落語」という言葉自体、この頃に生まれたものです。
先代桂文楽、三遊亭圓生、古今亭志ん生など、才人の溢れる賑やかな時代でした。この時代の落語は現代とはややスタイルが異なるものの、今耳にしてもまったく古びていません。
いっぽうで現在の落語芸術協会、当時の日本芸術協会は、新作落語で人気を博しました。
先代古今亭今輔、桂米丸、そして「お笑いタッグマッチ」の司会で人気を博した春風亭柳昇などです。
ちなみに長年芸術協会の会長を務めた桂米丸は、95歳でいまだ現役です。

落語協会にも新作派はいました。「どーもスイマセン」の先代林家三平、「山のアナアナ」の先代三遊亭圓歌は大衆的な人気を集めた売れっ子となり、落語ファン以外にも広く認知をされました。
二ツ目の時代に寄席のトリを取ったのは、このふたりと、四半世紀後の三遊亭小遊三ぐらいのものです。

東京の盛況な落語界を尻目に、戦後の看板であった二代目桂春團治や五代目笑福亭松鶴らを喪った上方落語はどん底の時期を迎え、滅びかけていました。なにしろ、落語家の数が両手で数えられる程度だったのです。
消滅の危機を救ったのが桂米朝です。マスメディアにも積極的に露出して売れた米朝は、漫才主体の関西において落語を定着させる大きな力になったのでした。
米朝は古い師匠たちに積極的に教えを請い、古典落語の命脈を保ちました。
米朝がいなければ、滅びてしまった上方落語の演目は非常に多かったはずです。
上方落語の四天王(他は六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、三代目桂春團治)のひとりとして、米朝はその後も上方落語を牽引し続け、東京の落語界にも大きな影響を与えます。

現在でも続く長寿番組「笑点」が始まったのは、1966年です。
当初は若手落語家が過激なギャグを口走る番組でしたが、メンバーの高齢化とともにどんどん毒の薄い、万人に楽しまれる番組となり現在に至ります。

この時代の落語を聴くと、マクラはほぼ古典落語に付随するもので、落語家の日常を語ることがほとんどないのに気付くでしょう。

1940年頃の落語


戦前・戦中は落語にとっては苦難の時代でした。
1941年には「禁演落語」として、廓噺や不謹慎な噺など、戦時にそぐわない53の噺が「はなし塚」に葬られてしまいます。
替わって国策により、寄席で掛けられたのは戦意高揚落語でした。
戦後からは断罪される時代ですが、見方を変えれば、落語というものがそれだけ柔軟で、時流を常に意識していた芸能だったことが現れているともいえます。
戦後の1946年、禁演落語は塚の中から復活しましたが、だからといって現在、復活した禁演落語がまんべんなく掛けられているというわけではありません。権力行使などなくても、噺の流行り廃りは普通にあるわけです。

名の知られる落語家で戦死した人はいませんが、戦後に新作落語で売り出した春風亭柳昇が、機銃掃射で右手の指を欠損しています。
柳昇は所作が必要な古典落語はできないと考え、新作を開拓していくのです。
兵隊に採られるよりも上の世代ですが、満州に慰問に行った古今亭志ん生、三遊亭圓生は終戦で帰国できず、ずいぶんと苦労したといいます。
しかし壮絶な体験をもとに、ひと皮むけたこのふたりは、戦後の落語界を牽引する存在となるのです。

大正・昭和初期の落語


大正時代には、落語の東西交流が盛んとなりました。
明治末期の頃から、多くの上方落語の滑稽話が、東京に持ち込まれます。
現在、東京の落語の8割は上方にルーツがあるとされますが、この時代にまで遡ります。
いっぽう、滑稽噺でない圓朝ものなど人情噺が上方に持っていかれることはその後もありませんでした。
この時代にはラジオのコンテンツとして落語が人気を博します。
落語が初めて全国で聴かれるようになった時代だといえるでしょう。
SPレコードも作られるようになります。
関東大震災で壊滅の危機に瀕した東京の落語界も、大同団結して、東京落語協会を作ります。
これが落語協会のルーツです。
いっぽう、現在の落語芸術協会、前身の日本芸術協会は、1930年に誕生します。
落語協会と芸術協会は、歴史的に東京の落語界を二分していますが、特に大きな対立の歴史はありません。無数にあった対立の結果、収斂してこの二団体があるわけです。

明治の落語


明治の落語界には、傑出した才能が現れました。三遊亭圓朝です。
落語には古典落語と新作落語があることは知られていますが、現代では古典落語とされる落語の中にも、作った人が明らかのものもあるのです。
圓朝は、諸説あるものの、次の落語を後世に残したとされます。

・牡丹灯籠
・真景累ヶ淵
・芝浜
・死神
・文七元結
・鰍沢
・心眼

圓朝ものは、一部を除いて現代で頻繁に掛かるわけではなく、その天才ぶりは過去の歴史に過ぎないようにも見えるかもしれません。
ですがこのとき生み出された、笑いとは異なる落語のエッセンスは、現代まで脈々と受け継がれています。
それどころか、文学史で学ぶ言文一致運動、これに大きく影響を与えたことも知られています。
圓朝の高座を速記に起こしたものが、言文一致の小説のスタイルを作ったのです。

他に、明治から大正にかけ活躍した落語家のひとりに、三代目柳家小さんがいます。
夏目漱石が「三四郎」(出版は明治末期)の中で、小さんを激賞していることも知られます。
上方から多くの落語を東京に持ち込んで作り替え、現在の滑稽落語の礎を築いた功労者でもあります。

明治大正期、東京や大阪には非常に多くの寄席が存在しました。現在のような大きな席ではなく、小さな席が町内に1軒あるレベルでした。
実際に、東京だけでも100軒を超えていたのです。
人気の落語家は、多くの寄席を掛け持ちしました。人力車で東京中を駆け回る売れっ子もいたといいます。

維新の頃の落語


江戸末期になると世間が騒然、殺伐としてきます。
特に江戸は、薩長の田舎侍が集まり、落語の客層も変わってきました。
「百川」という古典落語に、この時代の空気が残っています。
寄席の芸自体も変質し、いったん「ステテコ踊り」「ヘラヘラ踊り」など珍芸がもてはやされるようにもなりました。落語家たち自身が珍芸を披露していたのです。
江戸末期に確立したトリの人情噺も、圓朝が出るまではいったん下火となり、滑稽噺でトリを取る事例が増えました。

江戸時代の落語


落語は江戸時代に完成した芸です。
落語の祖とされるのが浄土宗の僧である安楽庵策伝ですが、この人は面白説法と、後の世にもネタ本になった笑話集の編纂で知られている人なので、落語のスタイルを作り上げたというわけではありません。
もう少し時代が下り元禄の頃になると、落語らしいスタイルが生まれてきます。
江戸、京都、大坂でほぼ同時に発達したため、それぞれにルーツとされる人がいます。
京都では露の五郎兵衛、大坂では米沢彦八、江戸では鹿野武左衛門です。
現代の上方落語では「彦八まつり」を毎年開催し、落語の祖を偲んでいます。

江戸では天明の頃、戯作者の烏亭焉馬が「噺の会」を主宰し、いったん衰退していた落語がここから盛り上がりをみせたため、焉馬は落語中興の祖とされます。
職業落語家の祖とされるのが、天保時代に亡くなった江戸の三笑亭可楽です。
「山椒は小粒でも辛い」をもじった名前で、これはその後の落語家の名前の付け方の指標にもなっています。
可楽の名前は引き継がれており、現代の可楽は九代目です。
初代三笑亭可楽は、現在でもまれに掛けられる「今戸の狐」の登場人物のひとりでもあります。

東京と上方の落語のスタイルの違いは、江戸の落語がお座敷芸であり、上方では大道芸であったことにまでさかのぼるとされます。
大道芸であった上方落語の名残で、見物人の目を引くため、見台をパン叩いて音を出すのだということです。

落語家の階級について

落語家には階級制度があります。
東京の落語界では、「前座・二ツ目・真打」と分かれています。プロの落語家は、必ずこのどれかに属しているわけです。
落語家の階級を詳しく見ていきましょう。

上方には階級はない


落語家は主に東京と大阪(上方)とにいますが、上方落語界においては、落語家の階級は消滅してしまい、復活に至っていません。
かつて上方落語家の人数が極端に減り、絶滅しかけた際は、階級などにこだわっていられなかったのです。
現在になって隆盛を極める上方落語界でも、階級を復活させようと議論はあるものの、実現には至っていません。
階級などで分けず、実力と人気で地位が決まればいいではないかという考えが主流のようです。
とはいえ東京のように階級があると「真打」に昇進の際に披露目ができます。これが区切りになるというメリットは大きなもので、羨む上方落語家もいます。
東京で活躍する二ツ目、三遊亭わん丈さんは滋賀県出身ですが、二ツ目昇進時に「滋賀県出身者初の二ツ目」と地元マスコミに大々的に取り上げてもらえました。
同県出身の先輩に上方落語家は多数いますが、こういう露出はなかったわけです。
上方落語では、名前を継ぐ「襲名」披露が盛んにおこなわれていますが、真打制度がないことも理由のひとつです。

前座の前にある階級「見習い」


東京の落語家が、最初に経験する階級が「前座」です。
ですが正確にはもうひとつ、一種の階級があり、これを「見習い」と言います。
プロの落語家といえない見習いを、プロの階級として位置づけるのも変なのですが、まずはこれから見ていきましょう。
半世紀前の落語界であれば、前座となる前に1年から2年の見習い期間があるのはごく普通でした。
師匠の家で家事をしっかりし、落語界の掟も教わって、楽屋仕事がすぐできる状態になるまで修業したわけです。
ですが現在では、師匠のほうも広い家には住んでいないので、見習いを置いておくことができません。
そのため入門して数か月で前座となり、楽屋で叱られながら仕事を覚えていくのがその後のスタンダードとなりました。
その後、落語家志願者が大変に増えたため、今また見習い期間が重要になってきています。長い見習い期間を務める人も出てきています。
東京に600人、大阪に250人ほど落語家がいる状態で、寄席の楽屋の労働力も足りているとなると、入門してもすぐに楽屋入りして前座になれないわけです。
この期間は師匠に付いて寄席や落語会を回ったり、稽古をつけてもらったりします。まずは、特殊な落語の世界に馴染むことが大事です。
師匠が主役の落語会であれば、特別に一席披露させてもらえる機会もあるでしょう。

プロのスタート「前座」


前座になると、所属する協会の香盤(名簿)に名前も載ります。
芸名を付けてもらい、いよいよプロとしてのキャリアのスタートです。
前座の名前は、ふざけたものも多数あります。
おかしな名前のほうが、楽屋で師匠方に覚えてもらいやすいというメリットもあるので、必ずしもかわいそうだとも限りません。
おかしな名前の人でも、前座が明けて二ツ目に昇格する際には、きちんとした名をつけてもらいます。
前座というものは、落語を喋るよりまず、寄席の重要な労働力です。
特に「お茶子」さんが楽屋に詰めている大阪と違い、東京の前座は寄席の運営そのものを任される重要な役目です。
前座は休みがありません。給与もなく(手当は多少出る)、とんだブラック企業だと二ツ目以上の落語家が自虐的に語ります。
ですが前座の間は、自分の師匠以外からもちょくちょくお小遣いをもらえ、師匠宅でも寄席でも、食事を食べさせてもらえるので、生活にはそれほど困らないとされます。
前座の間は、ほぼ毎朝師匠の家に通い、掃除や炊事洗濯などをします。これも修業の一環ですが、昔より家庭向きの雑用は減っているようです。
それから寄席に出向いて楽屋の仕事をします。だいたい4~5人程度がひとつの寄席に詰めています。
寄席の開場を告げる一番太鼓、開演を告げる二番太鼓も叩きます。
出番が近づくと楽屋入りする師匠方にお茶を出し、着替えを手伝います。お茶の好みは師匠によりさまざまなので、すべてを覚える努力をします。
一席終わった師匠の着物を畳むのも前座の仕事です。
お囃子に合わせて、太鼓も叩きます。
前座はその次の段階になると、高座返し(座布団を裏返す)や、芸人の名前が表示されるメクリを返したりする仕事があります。
落語以外の色物の高座の際にマイクを上げ下げしたり、小道具を準備したりなど、仕事は無数にあります。
楽屋の雑用をして、演者が気持ちよく芸ができるよう心掛けつつ、高座の様子にも常に耳を傾けておくのが大事です。これが大きな勉強となります。
前座も年数を経て、最後にこなすのが立前座。これは寄席運営の責任者です。
立前座の権限は大きく、進行状況に応じて、演者に対し時間を詰めたり延ばしたりを要請することもします。
次の出番の師匠がまだ来ないので、前の演者に長めにつないでもらうなど、気苦労も多くあります。
ネタ帳を付けるのも立前座の仕事です。毛筆で、その日掛けられた演目を大福帳に記していきます。
前座も開口一番として、寄席の最初に高座を務めますが、それを指示するのも立前座です。
ところで評判のいい前座は、寄席に詰めるだけでなく、さまざまな師匠から声が掛かり、全国の落語会にお手伝い要員として連れていってもらえます。
入門して間もないこの頃から、競争は始まっているのです。
もちろん、落語の稽古も怠ってはいけません。前座の身分のままでは大きなネタは掛けられないものの、早いうちから覚えておくことは奨励されます。
将来プランを考え、積極的にネタを増やしていく必要があります。そしてこの段階ではまだ、将来どんな落語家になれるのか、漠然としています。
どんな噺が売り物になるのかわからない状態で、とにかく吸収していくことが望まれるのです。

晴れて一人前「二ツ目」


前座修業が明けると、落語家は二ツ目に昇格します。
前座を務める期間は現在では4年から5年で、おおむね年功序列で二ツ目となります。
長い落語家人生で、二ツ目への昇進はもっとも嬉しい瞬間だといいます。
羽織が着られ、出囃子も自分専用のものが付くようになります。
それまでのように師匠宅に毎日通う義務もなくなり、晴れて自由の身となります。仕事も自分で取ってきていいのです。
しかし、つい先日まで前座だった人に仕事が急に来るわけもなく、前座のようにご馳走してもらえる機会も減り、俗に二ツ目貧乏という状態に陥ることも珍しくありません。
寄席の出番も、前座の後の一席しかなく、なかなか回ってきません。
それでも、仲間の付き合いがきちんとしている人ならば、単価が安いために先輩が行かない仕事を紹介してもらったりして、なんとか生活が軌道に乗っていきます。
時間はたっぷりあるので、勉強することも必要です。歌舞伎や映画を見にいくのも勉強です。
もちろん、師匠方に稽古をつけてもらい、どんどん持ちネタを覚えるのは大事です。この時期をどう過ごすかが、その先の差につながるのです。
ひところは、落語と無関係のアルバイトに励む二ツ目も多かったようですが、落語ブームが続いており、現在は落語だけで食える二ツ目が多いようです。
二ツ目時代に贔屓にしてくれた落語会は、落語家にとっても財産です。真打になってからも、引き続き当時の会に出続ける人も多いようです。

最高の階級「真打」


落語に詳しくない人からすると、「真打」というのはよほど偉い存在なのだと思うことも多いものです。
しかし現在は、途中で廃業しなければ、年功序列(前座デビューから15年前後)で誰でも真打になれます。落語家全体の3分の2は真打が占めているので、肩書だけでは単純にありがたがれません。
それでもやはり、真打になるというのは格別なものです。
まず、寄席で昇進の披露目をしてもらえます。この際に、すでにある名前を継ぐ(襲名)を併せておこなうこともあります。
東京では真打になって初めて「師匠」と呼んでもらえるようになります。師匠になれば、弟子を取ることも許されます。
そして、実力があればですが、寄席のトリも取れるようになります。
真打になったといっても、定年のない落語界では、上に無数のベテランがいます。まだまだヒヨッコのようなもの。スタートラインに立ったばかりという扱いです。
いっそう稽古に励み、精進することが求められます。
真打のあり方、昇進基準は、過去に協会を分裂させたこともある、大変デリケートなものです。五代目圓楽一門会と立川流も、真打昇進を原因にして、落語協会を出ていったのです。
いろいろあって、現在の年功序列が定着しています。
ただし、実力を認められた二ツ目が、順位を抜いて「抜擢」で真打に昇進することがたまにあります。
ただこれは、そのときの協会の上層部の考え方次第でもあり、実力があれば必ず抜擢されるというものではありません。
何人抜いたという看板は一生ついて回りますが、抜かれた側が抜いた側に一生かなわないのかというと、必ずしもそうでもないのが、長い落語家人生です。
70歳を超えても普通に現役を続ける落語家の世界では、一生勝負は続きます。

伝説の落語家2名の生い立ちから現在までをまるっと解説

歴史の長い落語界では、多くの名人が生まれました。
戦後の落語界にもまた、後世に残る偉大な芸がありました。
現在もなお敬愛され、そして幸い音源が豊富に残っている、名人親子をご紹介します。
古今亭志ん生と、その次男である古今亭志ん朝です。

天衣無縫の落語家「古今亭志ん生」


古今亭志ん生は、逸話の極めて多い落語家です。

・16回も改名をおこなった(借金取りから逃れるためとも言われる)
・若い頃の壮絶な貧乏経験と繰り返した夜逃げ
・関東大震災の際にとりあえずまず酒屋に行って酒を飲んだことをはじめとする「飲む打つ買う」
・高座で寝たエピソード

などなど、世間が期待する落語家像を地で行っていた得難い人物です。
多くの逸話は志ん生とともに記憶されていきますが、中には当人のサービス精神による嘘や誇張もだいぶ含まれているようです。
実際の志ん生は、若い頃から稽古を欠かさず、芸を磨くのに余念のなかった努力の人でもありました。
若い頃はきっちりした芸であったのが、戦争末期に渡った満州で生死を賭けた体験をしたことで、帰国後に花開いたとされています。

志ん生を一言で言い表すと「ぞろっぺえ」。いい加減という意味の江戸弁ですが、しかしとても周りから愛された人でした。
ラジオ局と専属契約を結んだのに平気でよその局にも出て、問われると「専属ってえのは、よそに出ちゃいけないのかい?」と涼しい顔で言い返したとか。こんな契約違反も、「志ん生さんならしょうがない」となるのです。
伝説となったエピソードが、高座で喋りながら寝てしまったというもの。寄席の掛け持ちで疲れたのか、あるいは一杯ひっかけたのが利いてきたのでしょうか。
前座が起こそうと出ていったら、客が「寝かせといてやれ!」と叫んだと言います。
あまりにもでき過ぎたエピソードですが、こんなことはちょくちょくあったようです。

志ん生の落語は、誰にも真似のできないものでした。ハチャメチャで、その実計算され尽くしていたのかと思いきや、やはりハチャメチャなのです。
登場人物の名前を忘れても平気な顔で続けたといいますから、大変な神経です。
とにかく楽しい志ん生の落語は、落語に芸術性を求める層には嫌がられても、大衆からは圧倒的な支持を得たのでした。
現代からすると、志ん生に芸術性がないなどと思う人は誰もいないので、時代を先取りしていたのでしょう。
とにかく、プロをもうならせるスケールの巨大な芸の持ち主でした。
昭和の名人、三遊亭圓生は一緒に満州に行った仲ですが、志ん生を評し、「竹刀の稽古だったら私は志ん生さんに何本か取れる。だが真剣を持って闘ったらやられる」と語っていました。

アイディアマンの志ん生は、「疝気の虫」を掛けた際、サゲで「別荘オ~」と言いながら客の合間を抜けて、あらかじめ出させておいた履物を履いて悠々と出ていったとか。

昭和36年に読売ジャイアンツの優勝の際、祝賀会の余興に呼ばれた志ん生ですが、時間が大きく押したことにより、選手が食事をしながらの不本意な高座を務めることになります。この高座の途中、脳出血で倒れてしまい、長期間のリハビリ生活に入ります。
その後も以前人気のあった志ん生ですが、後世に語り継がれる高座はいずれも倒れる前のものです。
晩年は噺を間違えるようになり、高座には上がりませんでした。
83歳の大往生ですが、二人の息子(十代目金原亭馬生と古今亭志ん朝)は50代と60代でそれぞれ亡くなることになります。

なお現在、志ん生の血を引く落語家が誕生しています。
志ん生の長男、十代目金原亭馬生の孫である金原亭小駒が、落語協会の二ツ目になっています。
血縁上も志ん生の曾孫ですし、曾孫弟子ということにもなります。
志ん生という名前に付いては、ここで記載した人が5代目です。この大きな名前については、息子の志ん朝が継がないまま亡くなり、空位が続いています。
志ん生の孫弟子である古今亭菊之丞が継ぐのではないかと言われますが、あくまでも噂の範囲を出ません。

現代落語を作り上げた「古今亭志ん朝」


落語界というものは、歌舞伎と違い、血縁関係で後を継ぐ世界ではありません。
二世の落語家はサラブレッドと呼ばれることもありますが、必ずしも大成するとは限りません。
そんな中、志ん朝は偉大な父のもとに生まれたサラブレッドとして、一生を駆け抜けた偉大な落語家でした。

志ん朝は志ん生の次男であり、すでに貧乏ではなく、功成り遂げていた頃の父を見て育ちました。
志ん生の長男十代目金原亭馬生は、父がいきなり満州に出かけてしまい、苦労して修業をしました。破天荒な父に抗うように馬生は地味な落語に進み、そちらで花開いたのです。
それと比べ、志ん朝は大変おおらかに育ち、いわば落語の若旦那のような、洒落た風情を生まれながらに持ち合わせていました。それが独特の明るい持ち味につながっています。
音源も多数残されているためCDも多く、現在でもなお、若い人にまで愛されています。
初心者からベテランまで、誰もが聴いて納得する落語といえるでしょう。
父と、年の離れた兄が落語家である志ん朝ですが、当然にこの道に進んだわけではなく、役者や外交官になりたいと考えたこともあったようです。
高校卒業後、父志ん生門下でデビューすると、わずか5年で真打に昇進します。
血筋だけでない圧倒的な力量から、特に反発もなかったようですが、香盤(序列)を抜かれた柳家小ゑん(のちの立川談志)だけは面白くなく、本人に「辞退しろ」と迫ったという逸話があります。

志ん朝は早くから、父・志ん生のような破天荒に映る落語は自分にはできないと考え、本格派の道を進みます。父もまた戦略的に、自分自身が稽古を付けたりはしませんでした。
志ん朝が目指したのは、父の盟友であり生涯のライバルであった、八代目桂文楽の路線でした。
粋でいなせな江戸っ子を前面に押し出した、歯切れのいい志ん朝の語り口は誰からも愛されました。
大工調べにおける啖呵の威勢のよさは、真似しようとしてもそうそうできないものです。

志ん朝は役者としても世間の人気を集め、これは決して余技のレベルではありませんでした。
テレビドラマでは、鬼平犯科帳の木村忠吾役が知られています。
本業も役者業も忙しく、積極的に遊んでいた志ん朝ですが、稽古は欠かしませんでした。
志ん朝のような言葉を巧みに操るスタイルの語りは、日ごろの稽古をしないと喋れないものです。
自宅に仲間を読んだ麻雀の最中にも、抜け出してひとり稽古に励む志ん朝の姿が、弟子によって語られています。

名実ともに落語界のエースとしてさらなる活躍が期待される中、志ん朝は2001年に亡くなります。まだ63歳でした。
日本中の落語家とファンがその死を悼みました。
落語協会の副会長の座にもあり、元気なら会長も務めたことでしょう。

志ん朝の名は、一代で大きくなったもので、志ん生のような名跡ではありません。
とはいえ、現代の落語家が継ぐ価値の非常に高いものです。
現在のところ、水面下でのものは別にして、なんら動きはありません。

よく出てくる落語の用語(50選)

落語の世界には、多くの専門用語があります。
すべて覚えたら通と思ってもらえるのかというと、そうでもありません。
素人が用語を覚え、通ぶって使っているとプロの噺家に嫌がられそうです。
とはいえ、知らないよりは知っておいたほうがいいもの。落語の用語を順に見ていきましょう。
(50音順)

●池袋演芸場


池袋西口のビル地下2階にある小さな寄席。100人入るとギュウギュウ詰め。
噺家には池袋秘密クラブと呼ばれている。
「客が入らない」とネタにされる寄席だが、実のところ常に番組がよく、空いていることはあまりない。
寄席四場に含まれており、演者も一流の人が多い。
噺家の持ち時間が他よりも長く、通に向いた寄席。実際、ここで力を入れる演者は多い。
初心者にわかりづらい、楽屋ネタを披露する確率も非常に高い。

●色物


落語の寄席は落語が中心であるが、客を飽きさせないためにそれ以外の芸も出る。
漫才、コント、紙切り、太神楽(曲芸)、漫談、奇術、音曲など。他にも分類できないような珍しい芸が多数ある。
これらの芸人は名前を赤い字で書かれるため、黒字で書かれる噺家と区別するためいろものと称される。
現在、世間では悪い意味で使うことが増えたが、寄席で使う本来の色物に、悪い意味は一切ない。
色物芸人は「先生」という敬称付きで呼ばれることが多い。

●上方落語


大阪の落語。江戸に対して上方という。
歴史的には京都落語と大阪落語とが同時期に生まれた。
現在の東京落語の噺の8割は、上方落語由来と言われている。
東京の落語と異なるスタイルは、見台と膝隠しを使うこと。見台は、噺家の前に置く台で、これを張り扇と小拍子で叩いてテンポよく進める。
ただし演目によっては、あるいは演者によっては使わないのも珍しくはなく、上方落語のすべてが見台を使う落語ではない。
東京落語より、笑いを追求する要素が強いと言われている。ただ東西交流の盛んな現在では、言葉遣い以外の差は小さくなりつつある。
東京のような身分制度はなく、どの時点で「師匠」と呼ばれるかは客次第である。

●上方落語協会


大阪にある唯一の落語の協会。
上方落語家の大部分が所属している。
寄席は、大阪の天満天神繁昌亭と、神戸新開地喜楽館の二つがある。
吉本興業、松竹芸能という芸能プロの強い大阪で、所属事務所を問わない寄席が復活したのは画期的なことである。
会員の投票で会長が決まる。2020年4月の改選で笑福亭仁智が再任された。

●神田連雀亭


神田須田町にある、二ツ目専門の寄席。38席と非常に狭く、演者との距離も近い。
寄席の出番が少ない二ツ目にとっては貴重な寄席である。ただし二ツ目の全員が希望してここに出ているわけではない。
運営スタッフはおらず、その日の演者自身が受付もおこなっている。
午前11時30分からのワンコイン寄席は500円。午後1時30分からの昼席は1,000円。
これ以外に貸席の夜席もある。
東京の二ツ目以外に、講談師、浪曲師、上方落語家も出演する。いずれも二ツ目相当とされる若手。

●客いじり


文字通り、演者がギャグとして客をいじること。
ごく一部、古今亭寿輔のようにこれが売り物になっている人を別として、噺家はあまりやらないほうがいいとされる。
ただし色物の場合はごく普通に客いじりをする。マジックの手伝いをしたくない人は、あまり前の席には座らないほうがいい。

●協会


落語の協会(団体)は日本に5つ存在する。落語協会、落語芸術協会、五代目圓楽一門会(円楽党)、立川流、上方落語協会である。
東京は落語協会から分裂して円楽党と立川流ができたが、これらの小規模な団体は、法人格を持っていない。
勘違いされがちだが、協会は芸能事務所ではないのでマネジメントはしていない。だが、落語会を主催したい人が相談する窓口としては機能している。
噺家にとっての協会は、寄席に出るために加入が必要なものである。

●クイツキ


仲入り休憩後、最初に上がる芸人。「食い付き」。
色物が務めることも、噺家のこともある。寄席による。
休憩で散漫になった客の気持ちを引き寄せる大事な役目である。落語の場合、勢いのある若手がよく務めている。

●クスグリ


落語におけるちょっとしたギャグのこと。客をくすぐるからクスグリ。
演者自身のセンスが現れる。いきなり古典落語の中に時事ネタを放り込んでくる人も。
斬新なクスグリを、他の演者が許可なく使うのはご法度とされる。

●黒門亭


上野広小路の路地にある、落語協会の総本部、その2階は稽古場だが、寄席も開催される。
その中でも、土日に2部構成で開かれる寄席を黒門亭と呼ぶ。場所が旧地名の「黒門町」にあるため。
かつて黒門町の師匠と呼ばれた八代目桂文楽が居を構えていた、由緒ある場所である。
黒門亭の料金は千円で、半券を10枚貯めると1回無料。
40人しか入れないので、人気の師匠が出たときは行列必死である。普段はそれほど混まない。

●携帯電話


寄席や落語会の大敵で、熱演の最中にしばしば客席から鳴る。
マナーモードならOKかというと、振動音が意外と響くことがある。落語を聴く際は、電源を切っておくのが必須。
もちろん、録音や録画は禁止。発覚したら出入り禁止は必至。
仲入り休憩時にいったん電源をオンにして切るのを忘れ、休憩後にしばしば鳴らす人がいるので注意。
国立演芸場だけは携帯スクランブルが掛かっている。

●講談


講談は落語と似た芸であるが、上方落語のように演者の前に釈台と呼ばれる台が置かれ、これをテンポよく叩いて進める。
落語の場合演者自身が消え、会話でストーリーが進行することが多いのに対し、講談は演者自身がストーリーを語る点が大きく異なる。
また、講談の場合笑いはスパイス程度に使うことが多く、目的ではない。
とはいうものの、講談に近い落語も、落語に近い講談もあるので、ともに楽しんでみたい。
落語芸術協会には、日本講談協会所属の講談師がW所属しているため講談の層が厚く、寄席にも頻繁に登場する。
抜擢で真打に昇進するとともに襲名した神田伯山も、W所属である。
講談師は「先生」と呼ばれるが、色物としては扱われないのが普通。

●国立演芸場


最高裁判所の隣にある国立の寄席。歌舞伎や文楽の国立劇場と隣接している。
他の寄席とは異なり、前売りで指定席。
椅子にテーブルが付いておらず、食べ物は休憩時にロビーでというのが寄席には珍しいルール。
繁華街にある他の寄席と著しくロケーションが違う点が、噺家のマクラのネタになっている。

●酒


落語にもしばしば登場する「飲む打つ買う」三拍子のうち、「飲む」はもちろんお酒。
お酒を扱った落語は多い。親子で禁酒を誓いながら果たせない「親子酒」など常に人気の演目。
ただし寄席のほうは意外と、飲酒は禁止、または奨励されないところが多い。新宿末広亭と池袋演芸場では飲酒禁止となっており、場内でもアルコールは売っていない。

●サゲ


噺のオチのこと。
サゲこそ落語の肝だと思う人も多いが、実のところ、多くの噺ではそれほど重要なものではない。
噺を終わらせる合図のような、ごく簡単なサゲも非常に多い。サゲだけ忘れてしまっても気にしないこと。
おなじみのサゲを聴いて、いち早く手を叩く人がよくいるが、サゲは変えている場合もある。まだ噺が続いているのに手を叩くとみっともないし失礼なので、ちゃんと噺が終わったのを確認してから手を叩きたい。

●障り


寄席の掟のひとつ。差しさわりのこと。
たとえば、目の不自由なお客が来場したときには、按摩の噺は出さないし、目で見ないとわからない演目もしない。
お客に最大限気を遣うのが寄席の伝統である。
子供が来れば廓噺はやらず、妊婦さんが来れば「もう半分」などという、気持ちの悪い赤ん坊の噺はしない。
ただし気にしなくていいテーマ「三ぼう」もあって、これはつんぼう、けちん坊、泥棒のこと。これらの人は寄席に来ないから。
特に泥棒の噺は、「お客のふところをつかむ」として縁起物とされ、一日一度は掛かる。

●師匠


噺家の敬称は「師匠」。ただし東京では、真打にならないとこう呼んではいけないルールになっている。
前座と二ツ目は、「さん」付けで呼ぶべき。
階級制度のない上方の場合は微妙だが、実力とキャリアで真打相当になれば師匠と呼ばれる。
噺家相互間では、若手がベテランを呼ぶときは、自分の師匠以外に対しても「師匠」を付けるのが普通。
入門年次の近い人に対しては、「アニさん(東京)」、「兄さん(大阪)」と呼ぶ。
女性に対しては東京でもねえさんと呼び、アネさんとは呼ばない。

●襲名


歌舞伎で有名だが、落語でも襲名がある。
各寄席で披露興行を行った後、全国を回ることも多い。
東京では、真打昇進時に合わせて襲名することが多いが、ベテランが師匠の名や、埋もれた名前を継いで披露目をおこなうこともある。
実力がないと、寄席が披露興行を開いてくれない。
上方では真打昇進がそもそもないため、イベントとして襲名は非常に重要視されている。
今まで誰も名乗っていない名前、または一人前でなかった名を名乗る場合、襲名とは言わず、単に改名というのが普通。

●新作落語


古典落語は江戸・明治から新しくても戦前までの時代設定のもので、代々語り継がれてきたもの。
これに対し、主に現代を舞台にして新しく書き起こした落語を新作落語という。現代では非常に盛んで人気がある。
多くの新作落語は、噺家自身が作っている。
新作落語の好き嫌いはファン次第だが、落語初心者にとっては好きと嫌いが両極端であり、慣れてくるにしたがい好きになることが多い。
新作落語も特殊なものでなく、落語の体系の上に載っているためである。
誰でも楽しめる新作落語がある一方、鉄道やウルトラマン、アイドルなど、マニアックな趣味を扱った新作も増えてきた。
今後はマニアックな新作が、マニアでない客にウケるという流れもあったりする。

●女流落語家


女性の噺家が現在、大幅に増えている。特に若手に多く、全体の5%程度を占める存在となっている。
講談に関しては早くから男女比率が逆転しており、女性のほうが多い。10数年前は、女性は落語には向いていないが講談ならできると言われていた。
落語の噺は基本的に男性目線で作られており、女性には不利とも言われる。そんな中、改作や新作で女性目線を打ち出す人も増え、個々の人気も急上昇している。

●新宿末広亭


末廣亭と書くのが正式な表記。新宿三丁目にある、寄席の老舗のひとつで、戦後建てられた建物を大事に使っている。
クラシックな外観に加え、椅子席の両側にある桟敷席に風情があり、人気を集めている。
演者が多く出る分、一人当たりの持ち時間が短め。その分初心者向きなので、気軽に行ってみよう。

●前座噺


前座は、東京の落語界では修業中の身分であり、寄席の楽屋で働いて運営を支える存在。
寄席が開くと最初に出てくるのが前座。これは稽古の一環であり料金には含まれておらず、プログラムに名前もない。
前座が掛ける、落語の基本的な噺を前座噺という。
「寿限無」などほぼ前座しかやらない噺もある一方、「子ほめ」「牛ほめ」「元犬」などは前座以外も好んで掛ける。
前座噺は落語の基礎であり、落語のすべてが詰まっている。大ネタよりも先になじみになりたいもの。

●扇子と手ぬぐい


噺家は言葉以外に、身振り手振りも使う(所作)。その際に活躍するのが扇子と手ぬぐい。
扇子はキセルや箸、筆、広げて手紙になるし、手ぬぐいは本に見立てて開いたりする。
「狸の札」では、五円札に化けた狸を手ぬぐいで表現し、扇子の枕に寝かせてやる。
符牒で、扇子をカゼ、手ぬぐいをマンダラというが、こうした用語は噺家に対しては使わないほうが無難。

●代演


お目当ての噺家を聴きに寄席に行ってみたところ、休演で、別の人が代わりに出ていることがある。これが代演。トリの師匠の代演もあり、この場合代バネという。
病気代演もあるが、多くの場合は、演者が日本全国のどこかで開かれている落語会に呼ばれているためのお休みである。
落語会は2年前から決まっているものもあり、いっぽうで寄席の顔付けが決まるのはひと月前程度のため、代演が発生するのは仕方がないこと。寄席のほうも、最初から数日の休演を認めて顔付けするのである。
ただ、噺家のツイッターや公式サイトに、代演情報は出ていることが多い。行ってがっかりすることのないように調べておきたいもの。
代演の場合、同格の人を入れるのが基本的ルール。同格とは、人気やキャリアである。
ただし意外とこの両方が一致することは少ない。トリの場合、本来のトリの師匠や弟子が代わって出ることがあり、このほうがむしろスムーズである。

●食べ物


食べ物の噺は嫌がる人がいないので、寄席の定番である。
蕎麦やうどんをはじめ、食事の出てくる噺は多い。「ちりとてちん」のような腐った豆腐の噺であっても、上手い人が演ずると客の食欲をそそる。
聴いている客の側も、寄席は時間が長いので食べるものが必要だが、せんべいなど音のするものはよくない。
サンドイッチやおにぎり等、片手で食べられるものがおすすめ。豪華なお弁当などは避けたほうがいい。

●ツく


落語の噺は無数にあるが、似た系統のものも多い。客が飽きないよう、これらを同じ寄席で出すことはしない。
寄席では演じた噺(演目)を前座がネタ帳に記載していく。
自分の出番に合わせて寄席に来る噺家は、その日出た噺をネタ帳で確認し、すでに出たものと似ている噺を避けて、自分の演目を決める。
例えば、前座がすでに「真田小僧」を出していれば、その日子供の噺はやらない。
ご隠居と八っつぁんの会話でできた「道灌」が出ていれば、同じ構造の「千早ふる」はやらない。
噺が被ることを「ツく」と言い、寄席の御法度である。
入れ替えなしの新宿末広亭の夜のトリの場合、すでに20人近くの落語が掛けられた後で上がるため、噺を多数知らないと務まらない。

●つ離れ


落語界の符牒のひとつ。客が10人いないことをいう。
客の数をひとつ、ふたつと数えていって、「とお」になると「つ」が取れるので、めでたくつ離れしたわけである。
最近の寄席では珍しいものの、若手の会などでは客が一桁というのは普通にあること。
神田連雀亭の夜席など、客ゼロで中止になることがしばしばあるようである。

●亭号


噺家の名前のうち前半の、人名でいえば名字に当たる部分。
歌舞伎のように、屋号と呼ぶと正確でない。
柳家、三遊亭、古今亭、金原亭、林家、橘家、春風亭、桂、笑福亭などが知られているが、実のところ亭号は無数にあり、ひとりだけで使っている亭号もある。
実際、先代金原亭馬生の弟子である五街道雲助の三人の弟子は、桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼龍玉とすべて亭号が違う。
逆に、同じ亭号だからといって同じ一門とは限らない。
上方など大多数の噺家が「桂」であるが、大きく分けても一門は3つある。

●テケツ


寄席のチケット売り場のこと。テケツはticketが訛ったもの。
寄席の多くは、いまだに現金払いだけとなっている。
池袋演芸場以外の寄席(国立を含む)では、雑誌東京かわら版を提示すると割引がある。
ツイッターや公式サイトで、トリの噺家が割引券を出していることもあるので確認しておこう。

●弟子入り


落語でプロになろうとするなら、弟子入りをする必要がある。
師匠を寄席で出待ちして、いきなり弟子志願をするのがよくある方法。断られても何度も行って、熱意をアピールすること。
東京では、真打にしか弟子入りできない。
住宅事情から、現在では師匠宅に住み込む弟子は少なく、だいたい通いの弟子である。
落語家が増えたため、弟子入りの年齢制限もできている。東京の落語協会では30歳、落語芸術協会では35歳まで。
入門者が少ない時期であればすぐに寄席に入って前座修業を始められたが、現在では師匠に付きながらしばらく順番を待つ必要がある。

●出囃子


噺家が高座に上がる際に三味線で演奏される曲で、いわばテーマソング。基本的に他者とは被らない。
春風亭昇太「デイビー・クロケット」、三遊亭白鳥「白鳥の湖」など変わった出囃子もある。
名前と同様、亡くなった師匠から出囃子を譲り受けて使うこともある。

●東京かわら版


月刊誌であり、ポケットサイズ。
東京近郊の寄席と落語会の情報が網羅されている。気に入った噺家を追いかけるには必須の雑誌。
寄席に持っていくと割引が受けられる。

●トリ


寄席の番組は、最後に上がる主任(トリ)の師匠を決めてから作られる。
誰もがトリを取れるわけではなく、実力と集客力を認められた人だけの特権。
トリは噺家によって大変な栄誉である。
東京の寄席では、すべての演者がトリを立て、そこをメインディッシュとして味わってもらうため、前菜やオードブルとしての芸を見せる。
その分、自分がトリをとるときはすべての演者がそうしてくれるのである。
10日間のトリのうち、初日と中日、千秋楽にトリの師匠が打ち上げを主宰することになっている。

●仲入り


寄席の間の休憩のこと。仲入り休憩。
転じて、寄席の出番で仲入り休憩前に上がる人もこう呼ぶ。持ち時間はやや長め。
上方では、トリの師匠と並んで大きく扱われる出番である。東京でも、仲入りの師匠を目当てにする人は多い。

●中手


なかでと読む。
長いセリフ回しをスラスラ言い立てたとき、そばを手繰る仕草が見事だったとき、唄が上手いときなど、芸に感服した客が思わず手を叩くこと。
拍手をされたら噺家は必ず喜ぶかというと、中には「噺の妨げになる」と嫌がる人もいる。そのような演者は、客が手を叩く前にスッと落語の会話に戻ってしまう。
なんでも手を叩くのが礼儀だと勘違いしている客も多いが、落語のありきたりの小噺などにまで手を叩いていると、演者も白けてしまう。
わからないうちは、拍手は登場時と退場時だけにしたほうがいい。

●人情噺


多くの落語は滑稽噺であり、笑いが多い。
これに対し、人を感動させる噺を人情噺という。
必ずしも泣かせる噺だけではなく、「気持ちのいい噺」も人情噺にカテゴライズされる。たとえば「井戸の茶碗」。
笑いを追求する上方落語には、人情噺は極めて少ないとされているが、実際には東京でいう人情噺はそこそこある。

●羽織


高座に出てきた噺家は、途中で羽織を脱ぐことが多い。
マクラが終わって本編に入るときに脱ぐ人が多いが、ストーリー展開上、登場人物の仕草として脱いだりすることもある。
中には「着てると傷むから」と、登場してすぐ脱ぐ人も。
唐突に映るタイミングで脱いだとしたら、それは恐らく、単に高座が暑かったため。
脱いだ羽織は、自分で持って高座を下りる人も、前座に取ってこさせる人もいる。

●拍手


演者が高座の袖から登場したときに手を叩き始める客が多いが、本来は高座に上がって深々とお時期をした後で手を叩くものとされる。
無理にこのルールを守る必要はないが、少なくとも演者がお辞儀をしている最中には、拍手はいったん止めたいもの。

●噺家


落語を語るプロが噺家。はなしか。
「落語家」よりも噺家のほうが好まれる傾向はあるものの、「落語家」と呼んで失礼なことは一切ない。どちらでも可。
だが「上方噺家」「新作噺家」「アマチュア噺家」などとは、まず言わない。これらの場合は「落語家」を使ったほうがいい。
はなしかを「咄家」と書くこともあるが、ちょっと気取りすぎかも。

●破門


師匠が弟子との師弟関係を切ること。
師弟関係がゆるやかであった昔と異なり、現在では真打になっていない弟子はほぼ、破門されると自動的に廃業せざるを得ない。
そのため、所属団体の違う師匠に再入門して、改めて修業をする人もいる。
師匠のほうは、すぐ謝りに来たら許してやる気でいるのに、弟子のほうが破門されたと思い込み、そのままになってしまうこともしばしばあるようである。

●ヒザ


寄席のトリのひとつ前の出番で、正式にはヒザ替わり。ここは色物が務めるポジション。
色物芸人にとっては、寄席のヒザを務めることは栄誉である。
トリを待つ客の頭を、いったんリセットさせる重要な役目を持っている。したがって爆笑芸はあまり出ず、リラックスさせてくれる芸に価値がある。
ヒザのひとつ前(落語)にも、ヒザ前という名称が付いている。これも同じく重要で、ベテラン噺家が務めることが多い。
トリを立てるため、笑いを狙いに行くことはしないが、客を退屈させてはいけないので腕が必要。

●二ツ目


前座・二ツ目・真打とある東京の落語の階級の真ん中。
前座の前段階として「見習い」を入れたうえで、「見習い・前座・二ツ目・真打・ご臨終」と説明するのは噺家の定番ギャグ。
二ツ目は羽織が着られ、出囃子も決めてもらえる一人前の身分。結婚する人も多い。
だが、寄席の出番は極めて少ない。
二ツ目という呼称のとおり、前座の後に上がるのが二ツ目だが、交互出演が多く毎日は寄席に出られない。
だが。落語ブームが長く続き、あちこちの落語会に出られるため、現在の二ツ目は落語だけで「食えるようになっている」人が多いとされる。

●マクラ


落語本編の前に喋る小噺。
現代ではわかりにくい噺の前フリを兼ねることもある。
かつては、噺本編に付随するマクラが何種類か決まっていた。今でもこうしたマクラは残っているが、それよりも噺家個人の私生活や近況報告を語るマクラが増えている。

●「待ってました!」


お目当ての演者が登場したときに、客席からなされる声掛け。
女性客が声掛けしていけないというルールはないが、歌舞伎と同様、ほぼ男性客に限られる。
他の人が先に声を掛けてしまったら、「たっぷり」と声を掛ければいい。
声を掛けられた噺家の定番挨拶。「嬉しいですね『待ってました』。この間、下りるときに『待ってました』っていう人がいまして」。
ちなみに半世紀前には噺家の住所を呼ぶ風習もあった。先代桂文楽に「黒門町!」、三遊亭圓生に「柏木!」など。

●メモ


高座の最中、メモを取っている人がいるが、演者からは気を削がれてとても気になる行為。
中でも、演者にもっとも嫌がられる行為がある。マクラを聴いて、今からなんの噺が掛かるのかを当てて、即座にメモること。
高座から苦言を発している噺家もいる。
落語を聴き慣れてくれば誰でも、なんの噺が掛かるのかはわかるようになる。だが、実際にメモまですると野暮の極みである。
演題をメモりたいときは、演者の交代のときにすべし。

●寄席


「○○ふれあい寄席」などと、地域寄席(落語会)の名称に使われることも多いが、本来の意味は落語が常に掛けられている小屋のことである。
落語会と対比して使われる。
寄席では、昼過ぎから夜9時頃まで、おもに落語が掛けられている。
昼席と夜席とがあり、それぞれトリが立てられる。
そして番組は月を3つに分け、10日交替。31日の日は余るので、「余一会」として企画ものが掛かるが、これは寄席であって寄席ではなく、落語会の一種。
東京では、鈴本演芸場(上野)、浅草演芸ホール、新宿末広亭、池袋演芸場が寄席四場と呼ばれている。もうひとつ、国立演芸場を含めることも多い。
浅草、新宿、池袋(毎月20日まで)では、昼席と夜席に、同じ料金で居続けて構わない。
上記以外にも小規模な寄席はある。寄席の形態を保っているのが、上野広小路亭、お江戸両国亭、横浜にぎわい座など。
上方には現在、「天満天神繁昌亭」「神戸新開地喜楽館」が存在する。
噺家にとって寄席は日常の仕事の場であるが、ここで得る収入は多くはないため、生活手段ではない。

●寄席文字


噺家の名前は独特の字体で書かれている。
寄席文字といい、縁起ものでなるべく「空白部分をなくす」ために、太い字となっている。
寄席文字は専門の書家(橘流)が担当している。

●与太郎


落語界の愛すべきキャラクターがよたろう。上方には出てこない、東京落語独自の発明である。
主役となる噺が多いが、たまに脇役で出てきて噺に彩りを添えてくれる。
周りからは常に馬鹿扱いされているが、意外と鋭いことを言う。
字が読めたり(牛ほめ)、結婚していたり(錦の袈裟)、意外とバラエティに富んでいる。
ほとんどの与太郎が労働しておらず、自由を謳歌している。

●落語協会


東京にある落語の四団体のうち、もっとも大きなもの。
都内の寄席四場は、落語協会と落語芸術協会とでそれぞれ番組が組まれている。
現会長は柳亭市馬。副会長は林家正蔵。
寄席の最高峰である、上野の鈴本演芸場に出演できるのは、現在落語協会員のみである。

●落語芸術協会


東京にある落語の四団体のうち、落語協会に次いで大きなもの。通称芸協。
落語協会が一般社団法人なのに対し、芸協は公益社団法人である。
浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場と国立演芸場で興行をしている。
鈴本演芸場は、席亭と喧嘩して以来出なくなったが、代わりに近所の上野広小路亭で興行をしている。
笑点司会者でもある春風亭昇太が現在の会長。副会長は春風亭柳橋。

落語を自宅で楽しむ方法

落語は、寄席や落語会に出向けば気軽に聴くことができます。
特に寄席は基本的に当日売りですし、気軽に行って楽しむことができます。
ですが落語の楽しみは人それぞれ。自宅で楽しむ落語もまた、いいものです。
特に2020年春はコロナ禍により、震災の時も閉まらなかった寄席がクローズしてしまいました。思わぬきっかけで、配信落語がここに来て注目されています。
自宅での落語の楽しみ方についてご案内します。

落語は現場で聴かないと意味がない?


<落語はライブで、その場の空気からすべてを感じるもの。録音、録画しても、熱気は決して再現できない。>
こんな意見もあります。
評論家もしばしばこうしたことを言います。落語ファンにも賛同する人がいるでしょう。
しかし、少々おかしな意見ではないでしょうか。
プロスポーツやミュージカル、映画などを自宅で楽しむにあたり、現場とまったく同じように楽しむ人などいるのでしょうか?
現場のほうが楽しいことなど皆が知っています。落語も当然のことです。だからといって現場以外の落語を否定するのはおかしな話です。
確かに、現場をまったく知らないなら、楽しみにあたり誤解したままのこともあるでしょう。ですが、年に一度でも寄席や落語会に行くという人なら、自宅でも十分に落語を楽しめます。

自宅で落語を聴いて耳を鍛えよう


評論家と違い、一般の落語ファンは毎月のように落語を聴きにいけるわけではありません。
だからといって、自宅で聴く落語を、やむを得ない代替物だと思う必要はありません。
プライベートで聴く落語、実に有意義なものです。落語耳を鍛えるのに最適です。
特に学習しようとして構えて聴く必要などありません。真剣に聴きたければそれもよし。聞き流すだけで、やがて落語のスタイル全体が身に沁みてくるでしょう。
具体的な落語の演目に詳しくなれるだけではありません。耳ができていれば、現場でもすっと噺が入ってきます。
さて、聴く方法はさまざまです。見ていきましょう。

CDやDVDで落語を聴く

昔はテープ、今はCDやDVDで落語を楽しんでいる人は多いでしょう。
最近ではダウンロード販売の音源も多くなりました。これも同じ種類のものでしょう。
こんな利点があります。

・音源化された以上、デキが安定している
・万一わからなくても何度も聴ける
・好きな落語家だけを集中して聴ける
・昔の落語も現代の落語も、同列に楽しめる

同じ落語を繰り返し聴くことの効能は意外と大きなもので、その後別の人の同じ噺を聴くときにも、理解の仕方が違ってきます。
ところでCDやDVDは、落語家にとっては名刺代わりの存在でもあります。
落語界にはファン感謝のお祭りがあります。落語協会の「謝楽祭」、芸術協会の「芸協らくごまつり」、上方落語協会の「彦八まつり」などです。
これらのお祭りで、好きな落語家のブースに行くとだいたいCD・DVDが置いてあります。
サイン入りのCD等を直売してもらうのもいいものです。

テレビ・ラジオで落語を聴く

テレビ・ラジオで落語なんて流れているの? となじみのない人は思う人も多いかもしれませんが、実は意外とあります。
NHK「日本の話芸」やTBS(BS、CSも)「落語研究会」など、全国で視聴可能の番組もあります。
CS放送にも多数あります。
ラジオはローカル放送だけでなく、radikoプレミアムに加入すれば全国のラジオがいつでも聴けます。
ABC「なみはや亭」、ラジオ関西「ラジ関寄席」などは、通年で放送しています。大阪以外の人も上方落語を楽しめます。
落語の番組でなく、落語家がパーソナリティを務めるラジオ番組も数多くあります。

You Tubeでも落語は多い

You Tubeにも落語は多く、無料で聴けます。
ただし大多数が違法アップロード動画や音源なのは問題です。
好きな落語家の動画で楽しむのは悪いことではないものの、動画閲覧で上がる収入は、好きな人のほうには行きません。
落語ファンならそのことは一応知っておきたいものです。
ただし、配信ブームもあり、落語家自身がアップする動画も増えてきました。

オンライン落語登場

2020年4月のコロナによる緊急事態宣言で、ついに寄席も閉まりました。
国立の施設等、多くの施設が休館するなかで、最後まで開けていた寄席も、ついにギブアップしたのです。
それ以前、特に上方落語界は東京よりひと月早く、寄席が休みに入りました。落語会もすべて中止です。
このため、特に仕事がなく生活に支障をきたした若手を中心して、配信によるテレワーク落語会が始まったのです。
ZOOMやYou Tubeなど配信の方法も多様化しています。
若手落語家の東西交流ももともと盛んであったため、東京にもこの流れはすぐ波及しました。
もともと配信の落語は、生活困難な若手を救済するという意味合いがあり、ほぼ有料でスタートしましした。若手たちもオンラインのスキルをいち早く身に着け、銀行振込みでしか受け付けできなかったのをPayPayが使えるようにするなど、努力をしています。
二ツ目だけでなく、ベテランも配信で落語を掛けるようになりました。
生活のためというのにとどまらず、プロの落語家たるもの、喋るのをやめることができないのでしょう。
もともと落語家には贔屓筋が多く、配信の方面に強い人もいます。古臭い世界だと思う向きもあるでしょうが、意外と進化がスピーディなのです。
いっぽうでは、寄席が再開したときの種まきのために、無料で、つまり制限なく配信を公開しようという落語家も多数現れています。
おかげでYou Tubeなど動画サイトには、すっかり落語のアーカイブも増えました。
せっかく確立したオンライン落語の流れは、その後2020年6月に寄席の一部が復活してからも、止まらないものと思われます。
今までは無観客配信でしたが、今後は現場の客の数を絞り、同時に有料配信で中継するという新たなスタイルも生まれることでしょう。

弁天小僧

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日頃はクレジットカード、キャッシング、カーシェア等を専門に執筆しているライターです。 落語が趣味で、週1回寄席や落語会に出向いています。

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