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金原亭馬治師匠の人物紹介

ワイン寄席

金原亭馬生一門が登場するオンラインワイン寄席、毎回お楽しみいただいていることでしょう。
今回はこの一門の惣領弟子、金原亭馬治師匠をご紹介します。
師匠・馬生の旧名を継いでいるので、二代目馬治ということになります。

目次
1.金原亭馬治はこんな落語家
2.金原亭馬治の経歴
3.金原亭馬治の名前について

金原亭馬治はこんな落語家

金原亭馬治師匠は芸歴20年の43歳。落語協会所属の真打です。
真打に昇進して5年、脂の乗った頃といえるでしょう。とはいえ、70代、80代の現役が無数にいる落語界では、まだまだ若手のひとりです。
さて現代の落語界、古典落語派については、昔ながらの噺の中に、いかに現代的なギャグを入れ込むか、これがテーマになっているところがあります。
もちろんそれで落語の人気が高まり、ブームが長く続いているのですから、方法論としてはまったく間違っていません。
とはいえ、現代的ギャグたっぷりの落語だけが目立つようでも困るのです。次世代に、スタンダードな話芸を引き継いでいく必要もあるからです。
この点、金原亭の一門は、先代馬生以来ずっと昔ながらの落語を追求しているということがいえます。
馬治師匠も、大師匠、師匠の落語を引き継いでいる本格派であり、「本寸法」と定義する人も多いでしょう。メリハリの利いたテンポと鼻に抜ける発声が、古き良き江戸っ子を感じさせてくれる得難い落語家です。
余計な入れごとは極力せずに、古典落語の演目をまっすぐ語り込んでくれます。
とはいえ、馬治師匠がやっているのは古い話芸なのかというと、まったくそんなことはありません。
落語を聴きなれている人なら、馬治師匠が昔ながらの世界を語っているようで、実は現代、お客の生きている同時代を語っていることに気づくはずです。
面白落語と対になる、変えない落語を追求するのは決して簡単なことではありません。
落語も常に動いていないと、変わっていないイメージすら保てないのです。
古典落語できちんと現代を語る馬治師匠、金原亭の看板の一人として、今後ますますの活躍が見込まれます。
すでに鈴本演芸場では毎年主任(トリ)を取っていますが、他の寄席でも主任を務めることでしょう。

金原亭馬治の経歴

馬治師匠は2000年4月に、当代(十一代目)金原亭馬生師匠に入門しています。
入門時の名前は「駒丸」でした。
惣領弟子ですが、二番弟子の金原亭馬玉師匠とは同日入門ですので、筆頭弟子が二人だと、楽屋でも認識されていたようです。
2003年には、当時駒介だった馬玉師と一緒に、二ツ目に昇進しています。
2015年3月には真打に昇進しました
この際も馬玉師と一緒なのは当然として、10人同時の真打昇進でした。
真打昇進は、入門からの年数に伴うバラツキにより、人数が変わるのは仕方ないのですが、10人同時というのはかなり多いほうです。
真打昇進時は披露目で5つの寄席を回りますが、10人同時だと、各寄席で1日しかトリが取れません。
ですが馬治師は、ここで埋もれてしまうようなことはありませんでした。
寄席で最も格上の鈴本演芸場で、主任(トリ)をたびたび務めています。寄席の主任は、席亭から呼んでもらわないと務めようがありません。トリの取れない真打も無数にいるのです。
昇進から1年後の2016年には早くも主任に抜擢され、その後も毎年鈴本の主任を務めています。
2020年にも主任があったのですが、コロナ禍で寄席がお休みになってしまいました。ですが代替公演として、鈴本演芸場の無観客オンライン配信を1日、堂々と務め上げました。
橘家文蔵師がオンライン主任の緊張をほぐしてやろうと、馬治師の高座の最中、前を横切って帰っていったのはご愛敬。昔ふうのいたずらです。
さて当代馬治・馬玉の二人とも真打昇進時に、「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」という番組に、他の新真打と一緒に出演し、その際入門のきっかけを語っています。
入門のきっかけは、日本大学4年生のときにフラッと寄席で聴いた馬生師匠にあったといいます。
大学で落語研究会(オチケン)にいたような人ではなく、同期入門の馬玉師とともに、あまり落語は知らなかったと振り返ります。
そして二人揃って、師匠・金原亭馬生がとても綺麗なところに惹かれたのだと言います。
年配で男性の落語家に向かって「綺麗」とはわかりにくいですが、馬生師匠の所作や立ち振る舞いを観ればこれはうなずけるものです。
偶然のきっかけから師匠にハマり、師匠と一門の影響を強く受けた落語家に成長していって今の姿があるのですから、面白い世界です。
師匠に叱られるのは、馬玉師より打たれ強い、馬治師の担当だったとのこと。
同門で入門年次が近いと、必ずしも仲がよくないとされます。ですが司会の柳家喬太郎師も、二人の仲のよさに感心していました。
この番組で「強情灸」を掛けた馬治師、落語を知らずに入門した分、こうした落語らしい寄席でできるサイズの噺が好きだと語っていました。
ちなみに強情灸は、師匠から教わった噺ということです。

金原亭馬治の名前について

「金原亭馬治」はまだ二代目ですが、極めて金原亭らしい名前に映ります。
金原亭の一門は、古くは初代金原亭馬生にまでさかのぼります。
金原とは、今の千葉県松戸市小金原で、江戸時代は馬の生産地として知られていました。金原亭馬生とは、「小金原で馬が生まれる」のシャレなのです。
職業落語家の祖とされる三笑亭可楽が、「山椒は小粒でもヒリリと辛い」から来ているのと同様、落語家の名前はシャレで付けているものが多いのです。
金原亭馬生から広まっていった落語家の系統は「馬派」と呼ばれ、名前に「馬」「駒」が付いている人が今でも多いです。駒もまた、「若駒」といった言葉を見てもわかるように、馬のことです。
当代、十一代目金原亭馬生の弟子も、祖父の名前を襲名した桂三木助以外、みな馬か駒が付いています。
「馬治」に関していうと、これは先代である当代金原亭馬生が、二ツ目昇進の際に新たに名乗ったもので、昔からある名前ではありません。
過去に馬次という人はいたようですが、落語の世界は「次」や「司」の字よりも「治」のほうが格上とされます。ですから先代馬治である馬生師匠も、新たなこの名を気に入ったようです。
ちなみに「治」の字ですが、先代馬生夫人の治子さんにちなんだものでもあるようです。当代馬生師匠にとっては、おかみさんです。
池波志乃さんのお母さんである治子夫人は、落語界でも評判の美人で、夫人を目当てに、先代馬生に稽古をつけてもらいに通う落語家が多かったとか。
この馬治の名は、馬生襲名に伴い空位になっていました。
当代馬治師は、馬玉(当時、馬吉)さんと二ツ目同時昇進の際に、どちらかに継ぐように師匠に言われたとのこと。
じゃんけんで決めろとも言われたそうですが、馬玉師が譲ったので、惣領弟子が師匠の名を継ぐことになりました。師匠はかつての名が受け継がれ、とても喜んだということです。

弁天小僧

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日頃はクレジットカード、キャッシング、カーシェア等を専門に執筆しているライターです。 落語が趣味で、週1回寄席や落語会に出向いています。

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